闘病日誌

生きてえ

9/12~9/13

 

夜勤。

ハチャのメチャに眠れた。

疲労感は最高の入眠剤ということに気づいた。運動すごすぎる。運動信者になります。

朝目覚めたときPC見たらよくわからんBIOS画面みたいになってたけど夕方目覚めたら普通に治ってた。なんだったんだろう。

朝方起きて日記を書きたくないという心理が見せた幻覚だったのかもしれん。

うどんに納豆入れたものを夕飯代わりにして出勤。

あんままずくなる理由ない調理法なんだけど異様に味気ない物体が出来上がってしまった。手からダークマターが漏れ出たかもしれん。

 

出勤。

昨日が異様にめんどい仕事が多かったので今日は平和に終わりますように・・・と神に祈りつつ仕事した。

比較的ヒマでのんびり仕事できてたので神の存在に感謝しつつ労働。神最高!一番好きな神です。

ボケーとしてたら「オイ!!!トイレが大変なことになってんぞ!!!」って言われて現場に急行したら職場のトイレとトイレ周りとトイレまでの導線が黒い汚れにまみれておりもしやこれは・・・と拭いてみたら・・・これは・・・ウンチ・・・

 

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神は最悪。

急に発露したテロ行為にみんなでてんやわんやになった。

どうしてこんなひどいことするんですか?

一段落したので原因を探ったところ、お大をお漏らしになったお客様がゾンビさながらフラフラとその辺を歩きまくり”悪意”を撒き散らしまくってたのが原因だったらしい。とんでもねえバイオハザードだよ。

終わったあとみんな明らかに疲弊してたけどおれと上司はウンチwウンチwギャハハwっつって一生笑っていた。このように夜勤は人間の脳を破壊します。恐ろしいですね。

不測の事故はあったもののその後は穏やかに進行。

朝になり定時で退勤。

 

夕飯の材料を買って帰宅。

寝る前にずっと読んでた小説の続きを読んでた。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

これです。

ことの発端として平沢進氏のbig brotherという曲にガンハマりしたことがあり、

 

www.youtube.com

 

これです。世界一カッコいい曲かな?

この曲の歌詞の元ネタになってるのがこの小説ということでいっちょ読んでみっか~ということで読み始めた。

以下長いあらすじと感想。

 

おおまかなあらすじは個人の生活、言葉、思想、果ては性欲まで徹底的にテレスコープと呼ばれる強化版監視カメラや「思考警察」と呼ばれる存在に監視されて管理され、異端は即消滅させられる社会の中で主人公がなんとか人間らしさを取り戻そうとするっていう王道なディストピアもの。

この小説の中で特に強調されてるのが”矛盾”によって人間を支配する方法。

大雑把に言えば作中の支配者(党と呼称される)の目的は彼らが行ったこと、つまり行動であれ、発言であれ、思想であれ、全ての事象を”真実”として現実に投影しそれを民衆に認知させることで党の持つ権力を永遠とすることが目的----つまり党自身が世界全ての事象を司る神になるということを目指している。

神は「ビッグ・ブラザー」という形を取り、党の党首として文字通り全知全能の存在として崇拝されている。

 

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ビッグ・ブラザーはこのような形で街中にポスターとして張り出されている。

実際に存在しているところを誰も見たことがないにも関わらず、ビッグ・ブラザーは党の象徴として間違いなく存在している。

作中の言葉を借りるのであれば党が「2足す2は5」と言えばそれは真実になるし、党からすれば空に浮かぶ星々はほんの数km先に存在し手を伸ばし握りつぶすつもりになればすぐに行えるということになる。

当然、現実はそうでない。我々は2足す2は4であることを知っているし星は遥か彼方手の届かない存在であることも知っている。

しかし党はこの思考を許さない。これを縛るために”矛盾”を持って市民を縛っている。

作中で「二重思考」という言葉が出てくる。

党に所属する人間は全てこの思考を駆使してものごとを考えており、この思考から逸脱することはつまり党の正統を外れ、異端として認知されることになる。

二重思考」とは即ち、「片方の物事が真実だと認知していながら、もう片方の虚構を真実だと思い込み、しかしもう片方の真実が必要な際は適正それを呼び出す」という思考の手法だ。

この世界では党の指示により過去は常に書き換えられる。

例えば党が「今年の兵器の生産目標は3000万です」と発表したとする。

ところが実際の生産量はわずか1000万だったとする、すると党はこの過去を全力で改変にかかる。

この発言が残った記録媒体---新聞や書物やありとあらゆる記憶媒体からこの発言を抹消、修正してしまう。

修正が終わったあとは「今年の兵器の生産目標は800万でしたが、実際の生産量は1000万でした 目標を大きく到達しています!」あるいは「今年の兵器の目標は3000万で実際の生産量は5000万でした」とすることも出来る。つまりどうあれ党の正義は守られ、豊かな生活は表面上は維持される。

この修正行為は他ならぬ党に所属した市民たち・・・実際の生活水準は恐ろしく低いながらも二重思考の術により党への忠誠を疑わぬ彼らによって行われている。

主人公はこの党のやり方に従属しつつも多少の違和感を覚えている人間、つまり異端に属する人間として扱われている。

物語は主人公が日記を付け始める場面からスタートする(この世界では日記をつけるという行為そのものが死に値するほどの反逆だ)

過去を都合よく改変してはいるが、その実人間の頭の中まで党は改変することができていない。つまりいくら過去の事象を証明するものごとが消滅しようとも人の記憶は自らが保持している限り永劫であり、それにより過去の証明はなる、と主人公は考えている。

いわゆる人間的な考え方ではあるが、その彼自身は他ならぬ党での過去改変の職に就いており(しかもその仕事にやりがいを感じている)彼もまた二重思考により思念を縛られている。

日記を付ける行為はそのことについての反逆である。自らの手で残した記憶が後世、あるいは同年代の同じ思考を持つ人間に伝わり意思を紡いでいかれることを期待している。

彼はこれらの行為が(このような考えを持つこと自体が)死に即繋がることを理解していたが、それでも一縷の望みを持っていた。

彼は物語が進むにつれ、愛する女性との接触や本能に従い生きるプロールたち(プロレタリアート、労働者層 作中では非人間的存在として扱われている)を見て人間本来の営み、生きる喜びを実感していく。

党の目を掻い潜りながら、党のやり方は間違っているという確信を強めていく。

主人公はある日党の上層部の一人であるオブライエンをひと目見たときから「彼は自分と同じ思想を持っている」という思いに囚われる。彼の目の奥底に眠る疑念の光が彼にその確信を持たせていた。

主人公はある日、そのオブライエンから自宅へ赴くよう誘いを受ける。

オブライエンは彼に「自分は党へ反逆する組織の一員であり、君もこの組織に所属するように」と誘われる。

主人公は確信が現実になった狂喜に打ち震えまた安堵する、このような考えを持っていたのは自分だけではないと。

オブライエンはその組織に属する上で読むようにとある本を主人公に手渡す。

その本には党がどのような手段を用いて民衆を縛っているかが克明に書かれていた。

彼の属する国は他の2つの大国と長い長い戦争の途中にある(少なくとも国民にはそう伝えられていた)

しかしその戦争はその実各国の均衡が破られることはなく、永遠に勝敗の付かない形式的な戦争に過ぎない。

この戦争の目的は、民衆の感情を戦争に縛るためにある。

先も述べた通り上層部の党員を除く市民、プロールの生活環境は劣悪そのものである。

党はその結果溜まった負の感情を戦争へ向かわせ、民衆をコントロールしている。熱狂と暴力を吐き出させる対象として戦争はこれ以上ないものだからだ。

二分間憎悪」という行為が党に存在する。

文字通り二分間の間、自国の裏切り者であるゴールドスタインと呼ばれる男(存在するかは定かではない)と敵国をスクリーンに写し、党員全員の罵詈雑言をひたすらに浴びせ続けるという行為だ。

これは所謂インスタントなフラストレーションを発散させる行為でありまた党員同士の意思を結束させる目的もある。

党に対して反抗的な意思を持つ主人公でさえ、この行為の最中は熱狂的な怒りと興奮に飲み込まれてしまう。群衆意識とはそういうものだ。

党員は常にこの熱狂的な敵意と情熱を持つことを求められる。それはまた党が市民に余計な思考を持たないように行っている狙いでもある。

市民は戦争が起こっていると実際に信じこんでいるが、上層部は違う。戦争が終わることがなく無意味なものだと知っている。

それでもなお、上層部は市民の何倍もの狂気と敵意を維持している。戦争が終わるものないものだと知っておきながら自らの国がいずれ全てを支配すると疑っていない。

それはまさしく極限にまで純化された「二重思考」の術が上層部に備わっているからだ。

主人公は本を読み決意を新たにし、自らの人間性を取り戻そうと考えていた次の瞬間----本当にあっさりと恋人のジュリア共々「思考警察」に逮捕されてしまう。

監獄に入れられ、そこで待ち構えていたのはオブライエンだった。全ては党の掌の上だったのだ。

この時点で小説の内容は大体半分と少しなのだが、ここから最後までの展開は全く同一だ。つまり、主人公が拷問されその”誤った”思考を徹底的に、完膚なきまでに、完全に心折れるまで教育される展開がずっと続く。

主人公はありとあらゆる苦痛を受け、信頼していたオブライエンから時に激高され、時に諭すように徹底的に党の思考を植え込まれる。

オブライエンは語る、党の反逆者に対しての拷問は屈服させるために行っているのではない。

拷問を受けた結果、恐怖によって媚びへつらい、衰弱によって服従したように見えてもそれは真の意味での”修正”ではないと。

その人間が遂に死に至る際、一片の反逆の意思すら残ってはいけない。死に至る瞬間一瞬でも心変わりを許したらまた次の反逆の芽が芽生えることを許す。

党は”誤った思考が存在したこと自体を許さない”。

徹底的に尊厳を破壊し、信念を失わせ、心を白紙の状態にする。

そこに党の教えをたっぷりと注ぎ込み---心身共に党に心酔した人間を作り出し、その上でその存在をこの世から完全に消し去る。

党に逆らったという事実は完全になかったことにされてしまう。そして過去は改変され、そこには何も残らない。

主人公が期待する、自らの残した形跡が後世に伝わり改革の芽となることなど絶対にありえないのだと。

主人公は疑問に思っていた。党の”やり方”は理解できた。矛盾によって人間を支配し、支配の階級を永続のものとする。しかしその”目的”とは?富か?名声か?

オブライエンは再び語る、党の目的は権力。権力そのものの追求。それ以外は何一つ必要ない。

過去今まであった専制君主制には甘えがあった。それは、支配の先に人民の平等や平和な世界があると仮定していたこと。あのヒトラースターリンですらそうだった。

党は違う、目指すのは平和な世界などではない。それは権力だけが意味を持つ、恐怖と憎悪と残酷が支配する世界。

主人公が死んだあとも、決してこの異端者の逮捕と拷問は終わることがないだろう。それどころか、党の規模が増えるにつれその規制はどんどん強くなることだろう。

そうした状態に置かれた人民たちは権力に対してのみ快楽を覚える。敵を踏みにじり、異端者を迫害し、人間の上に立つことのみが生きる目標になる世界。

二重思考により先鋭化した思考を持つ党員たちはやがて党そのものとなり、党は不滅の存在となる。永久に続く支配と恐怖の世界が完成する。

主人公はこの理論に反発を覚えつつも徹底的な拷問と巧みな論理で脳内を塗り替えられていく。

最終的には唯一の心の拠り所としていた愛人への信頼を完全に破壊され、主人公は釈放される。

最後の場面は主人公がカフェに一人座り、戦争の勝利報告を待つ場面に転換する。

あれほど愛していたジュリアとも、顔合わせをしても既に何の感情も抱かぬまでになっていた。

テレスコープから聞こえる勝利報告を聞いた時、彼は心からの歓喜を覚えた。心が権力に屈したのだ。

「彼は今、ビッグ・ブラザーを愛していた」の文で物語は終わる。

 

全体的な物語の構図は、最初述べた通り模範的なディストピアものとなっている。

悪役である党は完全にイカれているし、このような社会を作るのは到底不可能なように思える。

しかしこの物語に出てくる様々な行為、符号は現代における物事と奇妙に類似しているように見える。

テレスコープによる監視はスマートフォンの普及による個人単位の情報の所持、拡散、または監視ができうる可能性と似通っているし、二分間憎悪に見られる集団ヒステリーは主にSNSで散見される炎上案件への攻撃と酷似している。

また物語中に登場する「ニュースピーク」と言われる新語(略語を積極的に用いて単語の意味を徹底的に削り、最終的に市民から言葉による思考能力を奪うことが目的とされる)は、若者言葉に通じるものがあるのではないだろうか。

これらの奇妙な一致が、この物語を単なる創作で終わらせない説得力を持たせているように思える。

完全に管理社会は起きようがないかもしれないが・・・いくつもある未来の選択肢のうち、こういった未来も存在し得るのではないだろうか?程度には思えてしまうのだ。

この小説が書かれたのは1940年代なので、この一致が偶然のものなのか、それとも作者が予見したものなのかはわからない。

小説としては、中盤以降の駆け足さやプロールに対する描写不足などを少し感じた(プロールのほうが党院より余程よい暮らしを送っているように見える それも党の狙いなのかもしれないが)

ただ、それが気にならないぐらい心に大きなものを残していく小説だった。

SFの金字塔と言われるのも頷ける秀作だろう。

 

感想終わり。

長く書きすぎ バカ!

 

起きて夕方。

1984年読んで完全に小説読みたい欲が高まっていたので本屋に行っていくつか小説を買った。今月は読書の秋にしよう。

帰りに銭湯に寄り、体を清める。

風呂上がりの風が完全に秋でめちゃくちゃ気持ちよかった。そろそろ夏くんも引退する時期が来たんじゃないかね!

小腹が空いたので銭湯隣でおやつを食べた。

 

 

たこ焼き、ちゃんとしたやつを買って食べるのはいつぶりだかわからない。

マヨネーズの味がしておいしかったです。おれは全ての粉ものをマヨネーズとソースを味わうための土台だと考えている。

 

帰宅。

何をするともなしにダラダラした。

日付変わる前ぐらいから日記書き始めたらいつの間にか朝になった。

今度本の感想書くときはこれの1000分の1ぐらいの文量になるようにします。よかったかよくなかっただけ書けばいいでしょ。

 

終わり